俳優の宮沢氷魚(みやざわ ひお)さんは、ひと目見るとほわっとしていて独特な雰囲気ですよね。
そんな個性的な顔立ちの宮沢氷魚さんは、お父さんとお母さんは芸能人だというのは有名な話みたいですね。一体、どなたなのでしょうか?
芸能一家の家族ということは、宮沢氷魚さんはよくありがちな”親の七光り”で芸能界入りしたんですかね…
今回は、宮沢氷魚さんの父母は誰なのか?宮沢氷魚さんの芸能界のキッカケ秘話と両親とのエピソードについてご紹介します。
目次
宮沢氷魚 両親は有名揃い!
宮沢氷魚さんの父親は、1990年代「島唄」や「風になりたい」で一世風靡をもたらした超有名な元『THE BOOM』のシンガーソング・ライター宮沢和史さんです。
「あ~島唄の息子さん?」とアラフォー世代なら知ってますよね?
また俳優としても活躍されています。
では、宮沢和史さんについてちょっと覗いてみましょう。
宮沢氷魚の父親 有名歌手の宮沢和史
- 名前:宮沢 和史(ミヤザワ カズフミ)
- 情報:1966年1月18日 やぎ座 O型 171cm 山梨出身
- 学歴:明治大学経営学部卒
- ジャンル: 歌手・アーティスト エッセイスト 声優・ナレーター 俳優
- 特技: 料理
- 趣味: 釣り バイク レコードCD収集
- 活動:1986年~「THE BOOM」として結成
「島唄」でベストヒットをしたシンガーの宮沢和史さん。
2014年にTHE BOOMは解散し、現在はソロ活動をされています。
どことなく宮沢氷魚さんの目と眉毛、口元が父和史さんとそっくりじゃないですかね?
似てないようだけど、
やっぱり、全体的に親子そっくりでDNDの力はスゴイです!
宮沢氷魚(ひお)という名前は父親が命名
氷魚(ひお)という名前は、本名なんです。
琵琶湖にいる雑魚のことを
「氷魚(ひうお)」というそうで、
体が氷のように透き通っているので「氷魚」なんですって!
「僕もどんなプレッシャーや環境の変化にも対応できて突き進んでいけるように」
という思いで、釣り好きの父和史さんが付けたとのことです。
まさに令和の今、”人生100年時代”にぴったりの名前ですし、
宮沢氷魚さんも透明感のある雰囲気なので、実物とマッチした名前だなと納得しました。
宮沢氷魚 父親宮沢和史は子煩悩!
写真(引用:MEN’S NON-NO WEBの宮沢氷魚BLOG)
宮沢氷魚さんは、少年時代から野球にハマり、足も速くポジションはショートだったとか。
歌手で忙しかった父和史さんなのに、休みの日には、
・野球の相手をしてくれた
・父の地元山梨県の温泉で他愛のない会話をした
など、今でも鮮明に覚えている思い出だそうです。
お仕事の合間をぬって、子供と共に過ごす…
「子煩悩の父親」
だったというのが分かりますね。
宮沢氷魚 母親はタレント光岡ディオン
宮沢氷魚の母親は、モデルやパーソナリティーで活躍するタレントの
「光岡ディオン」さんです。
光岡ディオンさんの紹介をします。
宮沢氷魚の母親は光岡ディオン
- 名前:光岡ディオン
- 情報:1965年7月15日 かに座 B型 神奈川出身
- 学歴:国際基督教大学 教養学部 語学学科卒
- ジャンル: タレント・コメンテーター・パーソナリティー
- 特技: 英語
- 活動:音楽番組、CNNニュース(日本語版)ナビゲーター等
光岡ディオンさんは、父親が日本人、母親がアメリカ人のハーフです。
色白で目鼻立ちはハッキリしていてるので、ホント美形ですよね。
なので、クオーターである宮沢氷魚さんの目の色が茶色くて、髪の毛もふんわりした薄茶色なのは、母親の要素もいい感じにミックスされているのが分かります。
宮沢氷魚は両親のコネで芸能界入りした!?
=出典:朝日新聞デジタル=
日本人離れの顔立ちと一度見たら忘れられない魅了的な宮沢氷魚さん。
芸能界に入ったのは何がキッカケだったのでしょうか?
宮沢氷魚の芸能界へのキッカケは?
幼い頃は、父宮沢和史さんがとても多忙な時期であり、ほとんど家にいない日が多かったそうです。
だから、
・芸能の世界は興味がない
・むしろ絶対イヤ!
などと嫌悪感でいっぱいだったそうです。
=出典:Oricon News=
中学3年生の時、父和史さんのライブに初めて訪れたとのこと。
お客さんは一同に感動の嵐で…
「やっぱり、人前に立つ仕事は格好いい」
って思い始めたようで、そこから少しずつ興味を持ち始めて、
アメリカ留学中に、
日本を離れると、これから自分が何をしたいのかを考える時間が増えていって。もともとあった芸能界に入りたい、って気持ちが強くなっていった。
=引用:VOUGE GIRL=
とのことで芸能界への道を志したようです。
”子は親の背を見て育つ”とはよく言われたものですが、ホントその通りになっていますね。
宮沢氷魚は両親に内緒だった!?
大学時代にもっと芸能界への興味が強くなり、
ひとつだけ応募して、ダメだったらあきらめようって。そうしたら数週間後にメールが届いて、日本帰ったときに面接しようってことになったんです。
=引用:VOUGE GIRL=
ところが、宮沢氷魚さんは、両親には相談しなかったと。
特に父和史さんに、
強く反対されると思ったんですよ。
=引用:VOUGE GIRL=
案の定、
本当か?向いてないと思うよ
=引用:VOUGE GIRL=
と、父和史さんから言われたそうです。
ただ、母ディオンさんには、オーデションの最終面接あたりで報告はしたようです。
その時の母ディオンさんの反応は、
学校卒業するまではいいよって。
=引用:VOUGE GIRL=
感じであくまでもバイト感覚のつもりで軽く思っていたみたいですね。
宮沢氷魚のデビュー作は何?
宮沢氷魚さんは、”親の七光り”として芸能界入りするのは避けたかったようです。
なので、男性俳優が少ない事務所を探して
「オーデション」
に自分から応募したのです。
それだけ自分に厳しく、社会での自立をしようという姿勢が強かったんですね。
宮沢氷魚さんは、2015年
「第30回メンズノンノ専属モデルオーディション」
グランプリを獲得し、メンズノンノの専属モデルとして決定しました。
当時は、
メンズノンノのオーディションが(モデルとになって)初めて合格したオーディションなんです。だからこそ、父がこの芸能界で”仕事がある”という事はすごいですし、デビューしてから長年、そのポジションを維持し続けられている父をとても尊敬しています。
=引用:rbbtoday.com=
と言っていたようで、
芸能界入りが決まってからは、
と父和史さんから激励されたことは今でも鮮明に覚えているとのこと。
宮沢氷魚 両親からのアドバイス
教訓1:「謙虚でいなさい」
教訓2:「胸を張って自信を持ちなさい」
つまり、「謙虚で、でも自信持っていないと長持ちしないよ」と両親から言われたようです。
今でもその言葉は、宮沢氷魚さんの心の中でずっと守り続けている教訓になっているて、両親にはとても感謝しているみたいですね。
また、父和史さんは、最近「夢」をテーマにした小学生への特別授業で
自分の持つ夢は周りに伝えたほうがいい
=引用:Newsdig.tbs.com=
と、「夢」の大切さを語っていたようです。
僕(私)はこうなりたい それを周りに伝えることで自覚と意識が高まる それを実現するためには今、何をしたらいいか?
と自分について考えるようになるし、目標が出来るので、その「夢」に向かって突き進むことは大事だと話されていました。
まとめ
さて、いかがでしたか?
宮沢氷魚さんの父親は、かの有名な「島唄」で大ヒットしたボーカルの宮沢和史さん
宮沢氷魚さんの母親は、ラジオパーソナリティーやコメンテーターで人気のタレント光岡ディオンさん
宮沢氷魚さんは、目、眉毛、口元が父の若かりし頃にそっくり
宮沢氷魚さんが芸能界入りしたキッカケは、父和史さんのライブで感動した
”親の七光り”だと言われたくないため、オーデションに自ら応募した
両親の教えは「謙虚さと、自信をもっていないと長続きしない」
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宮沢氷魚さんの両親は、お2人とも超有名人でインテリですし、本人も長身で運動神経がよく、バイリンガルでもある「サラブレット」タイプ。
これから映画W主演『エゴイスト』も始まるので、今まで以上に期待とどんな仕上がりなのか待ちきれないですね。